米カントリー歌手ドリー・パートンさん死去、トランプ氏は7日間の半旗掲揚を発表

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「ジョリーン」や「オールウェイズ・ラブ・ユー」などの代表曲で知られるアメリカのカントリー歌手ドリー・パートンさんが、25日に死去した。80歳だった。パートンさんの家族が発表した。

パートンさんのおいであるブライアン・シーヴァーさんは、パートンさんのインスタグラムアカウントに動画を投稿し、「世界的なアイコンであり、人道活動家でもあるドリー・パートンは、愛される歌手、ソングライター、慈善家、俳優、劇作家、作家として世界に知られていたが、きょう、テネシー州ナッシュヴィルで安らかに息を引き取りました」と報告した。

BBCがアメリカで提携するCBSによると、パートンさんのチームは声明で、「がんとの短い闘いに勇敢に向き合った後、きょう、愛する人々に囲まれながらヴァンダービルト・イングラムがんセンターで地上での人生に別れを告げた」と発表した。

死去が伝えられると、アメリカや各国のミュージシャンや著名人が次々と追悼のコメントを発表した。また、ドナルド・トランプ米大統領は、パートンさんの追悼のため、「アメリカ全土の国旗を、8月25日夕から1週間、半旗にする」と述べた。

ハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム(名声の通り)」では、パートンさんの名前入りの「星」に多くのファンが花束を手向けた。パートンさんの地元ナッシュヴィルの「カントリー・ミュージック・ウォーク・オブ・フェイム」にも多くのファンが追悼に訪れた。

また、ニューヨーク市では、エンパイア・ステート・ビルをピンク色にライトアップし、パートンさんを追悼した。

70年にわたるキャリアの中で、パートンさんはグラミー賞を10回受賞。全世界で販売されたレコードは1億枚を超え、作った楽曲は3000曲を超えた。

時代を超えて愛される名曲の数々や、本人のウィット、そして貧しい家庭での生い立ちを題材にした物語性豊かな語り口が、年代を問わず多くのファンを引き付けた。

パートンさんは音楽以外の分野でも多才さを示し、慈善活動にも力を入れた。

1988年には子どもの識字能力向上活動や奨学金への資金提供を目的とする非営利団体「ドリーウッド財団」を設立。主要プログラムである「イマジネーション・ライブラリー」は、アメリカやイギリスなどの子どもたちに、出生時から5歳の誕生日まで、毎月1冊の本を無料で贈っている。

また、LGBTQ(性的マイノリティー)コミュニティーへの支持を公表することが一般的ではなかった時代から、「ゲイ・アイコン」として有名だった。エイズをめぐる偏見が依然として根強かった1990年代初頭に発表した楽曲「ファミリー」では、「その中には牧師もいるし、ゲイの人もいる」という歌詞を意図的に盛り込んだ。

新型コロナウイルスのパンデミックが起きた2020年には、ナッシュヴィルのヴァンダービルト大学医療センターに100万ドル(約1億5000万円)を寄付した。同センターは、米モデルナ製ワクチンの臨床試験実施施設の一つであり、このワクチンはその後、COVID-19向けに承認されたワクチンの一つとなった。

パートンさんはここ数カ月、「健康上の問題」に対処するため、公の場への出演をいくつか取りやめていた。

今月21日には雑誌「ピープル」に対し、「私は健康上の問題を抱えているが、(夫の)カールの世話をしていた時には、それに注意を払っていなかった」と述べていた。

夫のカール・ディーンさんは昨年、82歳で死去した。2人に子どもはいなかったが、結び付きの強い大きな拡大家族を共有していた。

7日間の半旗掲揚

トランプ大統領は自身のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」への投稿で、7日間の半旗掲揚を発表。「これは何百万人もの人々にとって真の損失だ。彼女のような人はかつて存在せず、そして今後も存在しないだろう」と述べた。

BBCのアンソニー・ザーカー北米特派員によると、アメリカの国旗規定では、このような長期間の国を挙げた服喪の対象に明確に指定される人物は、ごく少数に限られる。たとえば現職および元大統領の場合、半旗は30日間となる。現職の副大統領や連邦最高裁判所長官は10日間、連邦議会議員は2日間となっている。

大統領は、著名な民間人の死去を受けて半期掲揚を命じることができるが、1週間にわたることは極めて異例だ。1週間の半旗掲揚が最後にあったのは1965年で、リンドン・ベインズ・ジョンソン大統領が、ウィンストン・チャーチル元英首相の死去を受けて命じた。

米政界からは大統領経験者のビル・クリントンさん、ジョージ・W・ブッシュさん、ジョー・バイデンさんも追悼の声明を発表した。

イギリスのアンディ・バーナム首相は、パートンさんが「人々が永遠に大切にする素晴らしい音楽」というレガシーを残したと追悼した。

英歌手サー・エルトン・ジョンはインスタグラムで、「ドリーの訃報を聞き、衝撃を受け、打ちのめされている」と述べた。

また、パートンさんについて、「唯一無二でかけがえのない、偉大なアーティストであり、この上なく優しい心の持ち主だった」と振り返った。

英歌手サー・ポール・マッカートニーもパートンさんを、「素晴らしい女性」であり、「偉大なスター」だったと追悼した。

「彼女はとても快活で、生きる力にあふれていた。彼女が亡くなったという知らせを受け止めるのは難しい」

「彼女は非常に聡明な実業家でもあり、自身の音楽の価値と、何よりも自分が世界中の人々に与えた影響を理解していた」

パートンさんと共演経験のある米歌手シンディ・ローパーさんは、「彼女は偉大な歌手、ソングライター、俳優、テレビスターだっただけではない。ドリーは自身の芸術を生きた人だった。彼女は自らの芸術、名声、そして財産を使って、非常に多くの人々を助けた」と述べた。

米歌手ビヨンセさんは、「ドリー、あなたは指標だった。北極星だった。大胆で輝かしかった。才能にあふれ、粘り強かった。あなたは、自分らしく生きる方法について、とても多くのことを教えてくれた。あなたの芸術、優しい心、寛大さ、ユーモア、そして起業家精神に感謝している」と追悼した。ビヨンセさんは2024年発表のカントリーアルバム「カウボーイ・カーター」で、パートンさんの代表曲「ジョリーン」をカバーしている。

米歌手テイラー・スウィフトさんは、「ドリーのいない世界なんて、あり得るとも、現実のものとも、正しいものとも思えない。しかし、彼女がこの地上で過ごした時間を、永遠とも言える寛大さをもって人々にささげ、数え切れないほど大勢の人生をより良い方向へ変えたからこそ、そのレガシーは永遠に残るだろう」と述べ、「他のファンたちと同じように、私はそのすべてに深く感謝している」とした。

長年にわたる親しい友人の米歌手ビリー・レイ・サイラスさんも、ソーシャルメディアで追悼の言葉を述べた。パートンさんは、ビリーさんの娘で歌手のマイリー・サイラスさんの名付け親でもある。

このほか、セリーヌ・ディオンさん、ジュリア・ロバーツさん、サブリナ・カーぺンターさん、ケイティ・ペリーさん、エミネムさん、サー・ミック・ジャガー、サー・アンドリュー・ロイド・ウェバー、アン・ハサウェイさんなど、多くの著名人が、パートンさんとの思い出を共有した。

ドリー・レベッカ・パートンさんは1946年、テネシー州の1部屋の丸太小屋で暮らす貧しい農家で、12人きょうだいの4番目の子どもとして生まれた。

6歳の頃から、祖父が牧師を務める地元の教会で歌い始め、10代になる頃には地元テレビ局でパフォーマンスを行っていた。

1964年に高校を卒業した後、歌手としてのキャリアを始めるためナッシュヴィルへ移り住んだ。

パートンさんは当初、ポーター・ワゴナーさんとデュオを組んで活動していた。活動は7年に渡ったが、パートンさんがソロ活動で人気を得るに伴い、2人の関係は複雑になっていた。

パートンさんは1974年にデュオを解消したが、その時にワゴナーさんに向けて書いたのが「オールウェイズ・ラブ・ユー」だった。この曲については、多くの人が恋人同士の別れを歌ったものだと考えている。

1992年には、米歌手ホイットニー・ヒューストンさんがこの曲を、象徴的なパワーバラードとして生まれ変わらせた。

パートンさんの別の代表曲である「ジョリーン」は、1974年に発表された。胸を締め付けるような弱さをさらけ出したこの曲は、当時、パートンさんの夫に言い寄ったっていた、女性銀行員について歌ったものだった。

パートンさんの成功はさらに続き、多くのヒット曲を生み、賞にノミネートされたり賞を受けたりした。1978年には「ヒア・ユー・カム・アゲイン」で初めてグラミー賞を受賞した。

パートンさんを一躍スターダムへと押し上げたのは、1980年の映画「9時から5時まで」のために書いた主題歌だった。この映画は興行的に大きな成功を収め、楽曲もゴールデングローブ賞などを受賞した。

パートンさんは成功した女性実業家でもあり、2022年には米誌フォーブスによって、アメリカで最も資産を築いた女性の一人とされた。

富と成功を手にした後も、パートンさんは謙虚であり続け、自身が育った地域社会を支援した。

1986年、パートンさんは故郷スモーキー・マウンテンのふもとにテーマパーク「ドリーウッド」を開設した。ドリーウッドにはジェットコースターなどのほか、野生復帰できないハクトウワシのための世界最大の保護施設が併設されている。同施設のリハビリテーションと繁殖活動は数々の賞を受けており、2007年にはハクトウワシが絶滅危惧種リストから除外された。

またドリーウッド財団を設立してからは、奨学金や病院のために資金を提供したり、洪水や山火事の被災者へ寄付したりしてきた。1999年にテネシー州で立ち上げた「イマジネーション・ライブラリー」は、読み書きができなかった父親に触発されたものだ。現在はアメリカだけでなく、オーストラリア、イギリス、アイルランド、カナダへと拡大し、毎年何百万冊もの本を無料で送り出している。

パートンさんはそのキャリアを通じて、ユーモアと知性を交じえながら、常に思慮深く語った。また、聴衆の半分を遠ざけたくないとして、政治的な発言を避けた。

パートンさんは、特に女性のソロアーティストが業界で真剣に受け止められていなかった時代ににおける、カントリー音楽の分野での勇敢で才能ある先駆者だった。

パートンさんは自身について、ソングライターとして、そして仕事には真剣に向き合いながらも自分自身については深刻に捉えすぎなかった人物として、記憶されたいと語っていた。