ノルウェーのハーラル国王が89歳で死去

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ノルウェー国王ハーラル5世が28日、死去した。89歳だった。ハーラル国王は先週から、まれな血液疾患のために入院していた。

ノルウェー王室は、国王が現地時間28日午前6時35分(日本時間同日午後1時35分)、首都オスロの国立病院で安らかに息を引き取ったと発表した。

国王が亡くなるまでの24時間、王室関係者が国王を見舞い、多くの人々が宮殿に花を手向けた。

ハーラル国王は、58年近く連れ添った妻のソニア王妃、子どものマッタ・ルイーセ王女とホーコン王太子、そして6人の孫に看取られた。

ハーラル国王は、14世紀以降で初めての、ノルウェー生まれのノルウェー王だった。後を継ぐホーコン王太子は28日夕方にも、政府と臨時国務会議を開く予定。

ハーラル国王は35年間の在位中、君主制を近代化し、一般人だったソニア王妃と結婚することで伝統を打ち破った。また、ノルウェーが最も困難な時期に国民を団結させた、人気があり改革的な君主として記憶されるだろう。

王室関係者によると、ハーラル国王は気さくで尊敬され、愛されていた人物であり、国民の「祖父」であり、「国民の王」であると評されている。この「国民の王」という称号は、父親の先王オーラヴ5世も用いていた。

2011年に首都オスロとウトヤ島で爆弾テロと銃撃事件が発生した際には、ノルウェー国民に対し、互いに支え合い、「恐怖に支配されてはならない」と訴えた。

一方、ノルウェー王室は近年、健康問題やスキャンダルに直面している。先には、ホーコン王太子の妻メッテ=マリット王太子妃が、性犯罪で有罪とされた米富豪ジェフリー・エプスティーン元被告(故人)と過去にメールを交わしていたことが明らかになった。また、王太子妃の前の結婚相手との息子マリウス・ボルグ・ホイビー被告が、性的暴行罪などで有罪判決を受けている。

ホイビー被告は王室の一員ではないものの、ホーコン王太子の継子であることに変わりはない。

ハーラル国王は1937年2月21日、オスロ近郊のスカウグムで生まれた。

王子だった3歳の時、ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーがノルウェー侵攻を命じた。

王子の母親は子供たちと共に国境を越えてスウェーデンに逃れた。一家はその後、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領の招待でアメリカに渡った。

終戦後にノルウェーに帰国し、ハーラル王子は学校教育と兵役を終えた。1957年に祖父ホーコン7世の死去に伴い王太子となり、1960年から1962年まで英オックスフォード大学ベリオール・コレッジで社会科学、歴史、経済学を学んだ。

あるパーティーで実業家の父を持つソニア・ハーラルセン氏と出会ったが、2人は結婚を許されるまで9年間待たなければならなかった。父親のオーラヴ5世は、後継ぎの息子がヨーロッパの王女と結婚することを望んでいた。

後にノルウェー公共放送が行ったインタビューでハーラル国王は、最終的にソニア氏と結婚できないなら独身でいると宣言し、結婚を許されたと話している。

2人は1968年8月29日にオスロ大聖堂で結婚式を挙げた。

1990年に父が病に倒れると、王太子は摂政となった。1991年1月17日にオーラヴ国王が崩御し、ハーラル国王が誕生した。

歴史家のトロン・ノーレン・イサクセン氏によれば、ハーラル国王は2000年頃に真価を発揮し始め、控えめで真面目で内気な人物から、より開放的で共感力のある人物へと成長したという。

2011年7月、極右過激派アンネシュ・ベーリング・ブレイヴィク受刑者が、オスロとウトヤ島で若者ら77人を殺害する事件が起きると、国王はこれまでで最大の試練に直面した。犠牲者のほとんどは10代の若者だった。

国王は事件の翌日にテレビ演説を行った。数週間後にも、父親として、祖父として、夫として、そして国王として、犠牲者とその家族に寄り添うスピーチを行った。演説中には涙をこらえきれず、声は震えて途切れ途切れになった。

「皆さんの苦しみの深さは想像を絶するものです。この国の国王として、私は皆さん一人ひとりの気持ちを深く感じています」

歴史家のシュルスルード=ハンセン氏は、当時を振り返り、「あの瞬間は、君主制のあるべき姿として、私たちの心に深く刻み込まれたと思う」と語った。

2016年には、宗教や民族、性的指向の多様性を支持する情熱的な演説を行い、再び注目を集めた。「アフガニスタン、パキスタン、ポーランド、スウェーデン、ソマリア、シリア」からやってきた市民たちに敬意を表したほか、ノルウェー国民とは「神、アッラー、宇宙、そして何も信じていない」人たちで、「女性を愛する女性、男性を愛する男性、そして互いを愛する男女」のことだと述べた。

国王は熱心なスポーツ選手であり、環境保護活動家でもあった。世界自然保護基金(WWF)のノルウェー支部の設立者の一人であり、20年にわたってノルウェー支部の会長を務めた。

また、自身もオリンピック(五輪)にセーリングのノルウェー代表として3回出場している。

2001年にホーコン王太子がメッテ=マリット王太子妃と結婚した際、国王夫妻はメッテ=マリット妃の前の結婚相手との間に生まれた4歳の息子を家族として迎え入れた。マリウス・ボルグ・ホイビー氏は家族の一員として扱われたが、王室は後に、彼が王族ではないことを強調した。

国王の娘であるマッタ・ルイーセ王女は、当初ノルウェー人作家と結婚したが離婚。2024年には、物議を醸す形でアメリカ人の自称シャーマンと再婚した。夫妻のビジネス活動がきっかけとなり、王女は最終的に公務を退くことになった。

2024年4月、健康状態が悪化したことを受けて、ハーラル国王は公務を恒久的に縮小した。

最近では、体内の赤血球数を減少させる難病、溶血性貧血の治療のため、ステロイド治療を受けていた。8月17日に入院すると、ホーコン王太子が摂政となり、公務を引き継いだ。

ノルウェー王室は今年だけでも、相次ぐ健康問題やスキャンダルに直面し、ほぼ絶え間なく世間の厳しい目にさらされてきた。

特に、ホイビー被告のレイプ裁判は王室に重くのしかかっていた。ホイビー被告は拘禁4年の判決を受けたが控訴しており、国王が亡くなる直前には、病床に姿を見せた。

メッテ=マリット王太子妃も、息子の裁判が終わってから2日後に肺移植手術を受けた。王太子妃は8年前、稀なタイプの肺線維症と診断されていた。

王室をめぐる危機は、その人気に影響を与えている。現地紙アフトンポステンが行った世論調査によると、支持率は2024年の72%から54%に低下した。

他の世論調査では、ノルウェー国民のほぼ半数が、メッテ=マリット王太子妃は王妃になれないと考えていることが示されたが、ホーコン王太子は現在、妻が王妃になると述べる可能性が非常に高い。